野口英世 - コーヒーブレイク - 【ニーズを形にする】開発型ベンチャー企業 エイブル株式会社 株式会社バイオット

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第6回 野口英世

野口英世 (1876~1928)

日本の細菌学者である野口英世が、どんな業績を残したかは知らなくとも、この人物のエピソードについては誰もが等しく知るところだろう。幼少時代の火傷がもとで「びんぼう、てんぼう」とあだ名され、屈辱の中からやがて偉大な学者へと這い上がっていった一生は、まさに立志伝中の人物として相応しい。
こうして伝えられた野口英世は、真面目な努力家のように思えるが、実は全く違った顔を持った人物であった。医者を志して上京したあとの野口英世は、放蕩生活を繰り返し、金がなくなるたびに友人知人の間を無心して歩くというような毎日だった。しかもその手口は、自分がいかに有能な人物であるかとこれ宣伝に努め、だから自分に投資せよと迫るというものだった。なんとも厚かましい話である。
しかし、そんな放蕩三昧の中でも、医術開業試験にちゃんと受かったりするのは、彼が本当の天才であった証拠だろう。
彼の天才は、勉学における底力とともに、他人との出会いや、チャンスにめっぽう強いという運命を彼に授けた。そのことで、野口英世は、生涯に渡って多くのパトロンから援助を受けることができた。その運命が、最後にたった1回だけ横を向いた。黄熱病がビールスであったがために、彼はとうとうこれに出会えなかったのである。「どうもわからない。」が彼の絶句だった。